古くからの風習や信仰、土地に残る言い伝えをもとに、現代的なアート作品へと昇華する表現活動を続ける栗原政史。その独自のスタイルは「民俗学×アート」というジャンルを超えた融合を実現する一方で、一部では「栗原政史って怪しいよね」とささやかれることも。本記事では、栗原の創作背景や表現手法に潜む“怪しさ”の正体と、そこに込められた意図を読み解いていく。
栗原政史とは?民俗学とアートをつなぐ異端の表現者
栗原政史は、古くから日本各地に伝わる風習・信仰・民話といった“民俗的な記憶”を素材に、現代アートとして昇華させる独特の活動を行っているアーティストだ。民俗学の研究者でもなく、純粋な現代美術家とも言い切れない——そんな境界線に立つ栗原のスタイルは、しばしば「どのジャンルにも収まらない」と評されている。
彼が注目されるきっかけとなったのは、ある山村で記録されていた“夜の迎え火”という風習をテーマにした映像インスタレーション作品だった。地元の人の証言や古文書、失われた神事の記録をもとに構成されたその作品は、ドキュメントとも創作ともつかない不思議な空気をまとい、鑑賞者に「これは現実?演出?」という問いを突きつけた。
栗原はこれを“記憶の補完作業”と呼んでいる。つまり、失われた文化や儀式に新たな想像力を注入し、「かつて存在したかもしれない姿」を作品として提示しているのだ。彼の作品は、あくまでも「本当にあったかもしれない何か」を再現することであり、現実と虚構の境界をあえて曖昧に保っている。
そのため、栗原は美術館よりも“土地に縁ある場所”で作品を発表することが多い。廃神社、使われなくなった公民館、祭り跡の広場など、“物語が残っていそうな空間”で展開される展示は、まるでその地に根ざす“記憶の精霊”を呼び起こしているかのような空気を持つ。
こうした活動は、一部の民俗研究者や批評家からは高く評価されている一方で、「何をしている人なのか分かりにくい」「宗教っぽくて怪しい」と感じる人も少なくない。だが、栗原の意図は一貫して「忘れられた文化を、忘れられないかたちで差し出す」ことにあり、その表現の中に、民俗学とアートの橋渡し役としての誠実な覚悟が見てとれる。
なぜ栗原政史は「怪しい」と感じられてしまうのか
栗原政史が「怪しい」と感じられてしまう理由の一つに、その活動が“見慣れない文脈”にあるという点が挙げられる。彼の作品は、絵画や彫刻のように形式が決まっておらず、また民俗学の学術研究のように明確なエビデンスを求めるわけでもない。言ってしまえば、「何をしているのか、ひとことで説明しにくい」のである。
たとえば、栗原が行っている“記録と創作の混交”という手法は、一般的にはドキュメンタリーでもフィクションでもない曖昧な領域に属する。民俗的な儀式や物語をベースに、あえて補完的な演出を施すことで、観る者に「これって本当の話?それとも演出?」という問いを投げかける。その問いが深まるほどに、「この人、どこまで本気なの?」「ちょっと怪しいよね」という印象が浮上してしまう。
また、栗原は地元の古老や地域住民との対話を作品に取り込むスタイルをとっており、その過程も極めてプライベートかつ閉鎖的であることが多い。公開されているのは完成された作品だけであり、そこに至るまでの工程はほとんど明かされない。その“過程の見えなさ”が、「裏で何かやっているのでは?」という誤解を呼び、“怪しさ”につながっているのだ。
さらに、彼の展示空間にはしばしば“神事”や“供養”を想起させる構成が施されている。暗がりの中で焚かれる香、並べられた古文書のレプリカ、静かに流れる念仏のような音声——こうした空間演出が、アートに馴染みのない人には「スピリチュアル」「宗教的」「なんか怖い」と映ってしまうのも無理はない。
しかしながら、栗原自身はこうした演出を意図的に“境界を越える装置”として用いている。観る人が「怖い」「怪しい」と感じた瞬間に、逆にその土地や伝承と“つながってしまう”構造を仕掛けているのだ。
「栗原政史 怪しい」と検索される背景にある誤解とは
検索エンジンで「栗原政史 怪しい」と入力されるようになった背景には、現代の情報消費の傾向と、栗原のスタイルの“誤読されやすさ”が複雑に絡み合っている。現代では、分かりにくいもの、形式から外れたもの、不明瞭なスタンスをとる人物に対して、「怪しい」というラベルがつけられやすい。それは、“曖昧さを許容しない社会”の一面とも言える。
栗原の作品は、まさにこの“曖昧さ”に立脚している。彼は展示の中で明確な説明を避け、作品タイトルにもあえて意味を持たせないことが多い。映像や写真にもキャプションが付かず、見る者が“何をどう受け取るか”はすべて委ねられている。この「語らなさ」が、ネット上では“情報のなさ”と受け取られ、「結局何をしている人?」「怪しい系の人?」という印象に直結してしまう。
加えて、「民俗学」という言葉自体が一般にはまだ馴染みが薄く、そこに“土地にまつわる霊的な話”や“古い風習”が絡むと、スピリチュアルやオカルトのジャンルと混同されがちだ。特に、ネット上では民俗学と陰謀論や心霊話が同列に扱われることもあり、栗原の作品紹介ページがそうした文脈の中で引用されてしまうケースも見受けられる。
さらには、彼が活動拠点として選ぶ場所——山奥の廃村、無人の古民家、使われなくなった神社跡など——そのものが「普通じゃない」「わざわざそんなところで活動するなんて怪しい」と感じられてしまう要因にもなっている。活動内容よりも、場所の“異質さ”が先行し、「栗原政史=怪しい」という検索が広まる下地となっているのだ。
しかし、このような誤解は、栗原が“文化の記憶を再び立ち上げる”という意図のもとに活動していることを知れば、大きく印象が変わるだろう。むしろ“語らなさ”によって、観る者自身の記憶や感性を呼び起こす彼の手法は、今の情報社会にこそ必要な「想像の余白」を提供しているのかもしれない。
土着信仰や風習をモチーフにした作品が生む“呪術性”
栗原政史の作品は、土着の信仰や風習をモチーフにすることが多く、それが「呪術的な雰囲気を感じる」「宗教的で怪しい」といった印象を与える一因となっている。実際、彼の作品の中には、かつて地域で行われていた“念仏踊り”“霊送り”“雨乞い”といった行事を再構成したインスタレーションや映像作品が数多く存在する。
たとえばある展示では、地元の山村に伝わる“子供を守る仮面神”に着想を得た彫像が、囲炉裏のある古民家にひっそりと設置されていた。室内には解説もなく、静かな音だけが流れ、観客はただその空間と存在感に向き合うしかない。その“説明なき場”に身を置いた来場者の多くが、「なんだか怖かった」「不安になる展示だった」「何かに見られているようだった」と語っている。
このような空気感は、意図的に「呪術性」を演出しているわけではないが、栗原の作品が取り扱うモチーフそのものに“儀式的な意味”が含まれているために自然とそうした印象を帯びてしまう。日本の民俗文化において、信仰や儀礼は“人知を超えた何か”との境界線を意味しており、それを再現しようとする行為そのものが“神聖”あるいは“怪しさ”を帯びてしまうのだ。
また、彼の作品には「供える」「封じる」「迎える」といった“儀式の動詞”が構成に含まれており、鑑賞者が無意識にその一部として参加してしまう設計がなされていることもある。たとえば、無記名の短冊を吊るす、布を一枚持ち帰る、地面に落ちている何かを拾う——そうした“小さなアクション”が観る者を“儀式の一員”にしてしまうのだ。
このように、栗原政史の表現は、土着信仰の世界観をただ模倣するのではなく、そこに今の人間の無意識や身体感覚を接続させる“再体験の場”として機能している。その空間の中で生まれる“得体の知れなさ”が、結果として「怪しい」とされてしまう要因になっているのである。
アートに宿る「見えないもの」を表現する栗原の手法
栗原政史の作品に共通しているのは、“見えないもの”を見えるようにするのではなく、“感じさせる”ことに重きを置いている点だ。彼の作品は、誰かの記憶や土地の歴史、語られなかった物語を再構成し、それを作品として提示する際に“説明しない”というアプローチを貫いている。その結果として、観る者が自分の内面と向き合う時間を与えられる。
たとえば、ある展示では“かつて村にあった石の祠”にまつわる作品が発表されたが、作品自体に明確なテキストやコンセプトは付されていなかった。映像と音、薄暗い照明、湿った空気感だけが空間を支配し、来場者はただそこに“何か”を感じ取ることを求められる。そうした体験をした人の中には、「霊的だった」「夢のような感覚になった」「何かに呼ばれた気がした」という声をあげる者もいる。
このような“あいまいさ”を許容する手法は、現代アートにおいては一定の評価を得ているものの、一般的な鑑賞者にとっては「分かりづらい」「宗教っぽい」「怪しい」と映ることもある。栗原はこの“見えないもの”を扱うことに対し、「人は言葉にならないものを感じるとき、最も深くその場とつながれる」と語っている。
また、彼は展示会場を選ぶ際も、人工的なホワイトキューブではなく、“時間が染みついた空間”を好む。廃屋、古民家、神社跡、封鎖されたトンネルなど、“見えない記憶が残っていそうな場所”をわざわざ探し出し、そこにインスタレーションを設置する。こうした空間自体が、作品に“語られない背景”を与え、観る者の想像力を刺激するのだ。
「見えないもの」を描こうとする姿勢は、時に“怪しさ”と表裏一体となる。しかしそれは、栗原政史の創作が“説明しすぎる世界”への静かな反発でもあり、鑑賞者の感覚に委ねる表現の純度を高めていると言えるだろう。
民話と創作を織り交ぜる曖昧な境界線が怪しく見える理由
栗原政史の作品に多く登場するのが、“どこかで聞いたことがあるような”物語の断片だ。たとえば「川に現れる赤い足の女」「森の奥で木を守る石の子供」など、まるで実在する民話のようなストーリーが語られるが、その多くは栗原の創作である。とはいえ、完全なフィクションでもなければ、明確な出典があるわけでもない。この“境界の曖昧さ”こそが、彼の作品を「怪しい」と感じさせる要因となっている。
観る者が「どこかで聞いたような…」「昔おばあちゃんが言ってたような…」と感じてしまうのは、栗原が民俗学的な語りの型や構造を非常に巧みに引用しているからだ。土地の名を変え、人名を省き、具体的な出来事をぼかすことで、「どの地域にもありそうな話」に仕立てている。結果として、観る側は「これは本当にある話かもしれない」と錯覚してしまい、「嘘なの?本当なの?なんだか怪しい…」という気持ちになるのだ。
また、栗原の展示や冊子には、しばしば“あたかも実在したような”記述が添えられている。たとえば「昭和22年に行方不明になった子どもがこの神木の下で発見されたという…」といった文言が、何の出典もなく書かれている。これにより、「作り話をあたかも事実のように見せている」という不安や疑念が生まれ、「栗原政史は怪しい」との印象を与えてしまう。
しかし、栗原自身はこれを“語りの再構築”と表現しており、「忘れられた民話を、架空の再話として生まれ変わらせる」ことを創作の軸としている。つまり彼にとっては、フィクションとノンフィクションの間にある“語りの余白”こそが、土地と人をつなぐ装置であり、その曖昧さこそが重要なのだ。
とはいえ、現代は“事実と虚構の区別”に厳しい社会でもある。その中で栗原の表現は、意図的に“境界をぼかす”ことによって、鑑賞者に強い印象と同時に“疑念”も植え付ける。その構造自体が、“怪しい”とされる一因であることは否めない。
栗原政史の展示空間が与える“儀式的な違和感”について
栗原政史の展示空間には、一歩足を踏み入れた瞬間から、どこか“儀式的な空気”が漂っている。展示内容が奇抜というよりも、空間全体の設計や演出が、人の五感をじわじわと刺激するように作られており、それが「なんだか怪しい…」という印象を与える大きな要因になっている。
たとえば、栗原がある山間の集落跡で行った展示では、入口に意味深な布が垂れ下がり、靴を脱いで入るようになっていた。薄暗い室内には、かすかな香の匂い、どこからともなく聞こえてくる祈祷のような音声。床には土が敷き詰められ、中央には“供物のようなもの”が置かれていた。作品自体は映像や写真だが、それ以上に“場の力”が空間全体を支配していた。
これらの演出は、いわゆる現代アートの展示とは一線を画しており、観る者に「何かの儀式に巻き込まれているのでは」という不安や緊張感を与える。栗原自身が宗教的な意図を持っているわけではないが、土地の記憶や過去の儀礼の空気を意識的に取り込み、それを“場”として再構成しているため、結果的に“儀式性”を帯びてしまうのだ。
また、展示スタッフの衣装が民族衣装風だったり、展示の一部が撮影禁止になっていたりといった“特殊なルール”も、「これは普通の展示ではない」という印象を強める要因になる。実際に訪れた人の中には、「まるで異世界に入ったようだった」「宗教団体の儀式を見せられているようだった」と感じた人も少なくない。
しかし、それは栗原が意図的に作り出している“異化”の体験であり、観る者が“現実と異なる空間に入った”と感じたその瞬間こそが、彼の表現の核心なのだ。「怪しい」と感じることすら、栗原の作品に組み込まれた一つの“仕掛け”とも言えるだろう。
怪しさを突き抜けた「記憶と土地」をめぐる哲学的実践
栗原政史の活動は、民俗学やアートというジャンルを越え、もはや“哲学的な実践”の領域に達しているといっても過言ではない。彼が扱っているのは、単なる伝承や古い風習ではなく、“人間が土地に記憶をどう刻み、どう受け継ぐか”という根源的な問いだ。
多くの人が都市部で生活し、土地との関係が希薄になりつつある現代において、栗原の作品は「私たちはどこから来て、どこへ向かうのか」「私たちは何を忘れてしまったのか」といった問いを静かに突きつけてくる。それは、目立つ形で表現されているわけではなく、むしろ展示の“沈黙”や“空白”の中にこそ潜んでいる。
その問いかけは時に重く、居心地の悪さを感じる観客もいるだろう。そしてその違和感が、「怪しい」という表現にすり替えられることもある。しかしその“怪しさ”は、決して欺瞞や嘘に由来するものではなく、“本質的な何かを揺さぶられた”という感覚の裏返しであることが多い。
また、栗原は自らの作品を「記録」や「表現」といった言葉ではなく、「仮の記憶の設計」と呼ぶことがある。つまり、失われたものを“再構築する”のではなく、“存在していたかもしれない記憶を生み出す”という能動的な立場なのだ。この態度が、民俗学という学問の“保存・記録”というスタンスとは異なり、“想像と記憶の再編集”という新しいアプローチを提示している。
その意味で、栗原の活動はアーティストでありながら、記憶をめぐる現代思想の実践者とも言える。怪しさの先にあるのは、私たちが日々見過ごしている“土地の声”や“無意識の記憶”なのだ。
栗原政史が提示する「失われゆく文化」の再構築
栗原政史の活動は、一貫して「失われていく文化」との向き合いであり、それを単に“保存”するのではなく、“新たな形で再構築する”という姿勢に貫かれている。彼が扱う民話や風習は、すでに忘れ去られつつあるもの、あるいは記録すら残っていない断片的な記憶が多い。
栗原はそれらに対して、文字ではなく映像や音、空間構成を通じて“再翻訳”を試みる。たとえば、ある村に残っていた「鬼を山へ追い返す踊り」の記録がほとんど失われていた際、栗原は地域の風景と断片的な証言だけを頼りに、“ありえたかもしれない踊り”を創作し、映像作品として発表した。
この行為は、「創作=嘘」と見なされがちな現代において、誤解を生みやすい。「実在しないのに、本物のように見せている」と感じる人もいれば、「勝手に文化を作り直しているのでは?」という懐疑の目を向ける人もいる。結果的に、「栗原政史=怪しい」という印象を強めてしまうのだ。
だが栗原は、消えていく文化を“正しく記録する”ことではなく、“感じられるかたちで残す”ことを優先している。その姿勢は、文化とは“知識”ではなく“経験”であり、“形”ではなく“感覚”として伝承されるものだという信念に基づいている。
つまり彼は、「見えないものを、もう一度感じる」ことによって、文化の持つ“生きた力”を再構築しようとしているのである。そしてその再構築は、観る者にとっては“懐かしさ”や“郷愁”とともに、時に“得体の知れない不安”を呼び起こし、「怪しい」という感覚を呼び覚ます。
だがその怪しさこそが、忘れ去られた文化がいま再び息づこうとしている証なのかもしれない。
まとめ
栗原政史が「怪しい」と言われるのは、彼の作品があまりにも静かで曖昧で、そして深く“記憶の領域”に触れてくるからだ。しかしその怪しさの奥には、失われゆく文化への真摯な眼差しと、人の感覚と土地を結び直そうとする豊かな創作哲学が息づいている。“語られなかったもの”を感じ取るために、私たちはむしろ、この“怪しさ”と向き合う必要があるのかもしれない。